Harry's Cafe

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怒りのパワーと表現方法
現在発売中の雑誌「BRUTUS」の茂木健一郎の特集号、「脳科学者なら
こう言うね!」が面白い。黄色い表紙の奴。
中沢新一や将棋の羽生善治との対談も面白いんだけど、この本の中から
一言だけを選ぶとしたら、彼と関係の深い編集者が茂木健一郎を評した
言葉である。
(前略)しかしながら、彼は茂木さんを「怖い人」だという。

「怖い、というのは、すぐ怒るとかそういう意味ではなく、茂木さんの
仕事の根本に"怒り"があるからなんです。それは科学というものを消費
物としてしか見ない世間への怒りだし、その一方で学者村に閉じこもっ
て世界の豊穣さを見ようとしない科学業界への怒りであって、しかも、
それは茂木さんの最もコアな部分での"倫理観"に発している。だからこ
そ怖い。強度が違うんです。だから茂木健一郎という人間を決して油断
して見ちゃいけない」


という部分。
人が何かを創造する時の、モチベーション、意欲のきっかけに怒りの
感情があるというのは、よくあることなのかもしれない。

例えば、司馬遼太郎の場合には、自分自身が軍人として太平洋戦争の
敗戦を体験した時、どうして日本はこうなってしまったのか、という
怒りを持ち、それを解き明かしていくことがモチベーションになって
数々の作品が生まれたらしいし、その司馬遼太郎の作品の中での坂本
竜馬は、江戸時代の幕藩体制、身分制度の理不尽さに怒って明治維新
へと導いた人物として描かれている。

そして、多分現在でも世に出ている多くの人の心の中の意欲の源泉と
して、怒りがあるのかもしれない。
例えばホリエモンでさえ、彼の行動の中には、単なる拝金主義ではなく
既成の価値観に対する怒りがあったんじゃないんだろうか。

彼がやったこと、やったとされることは別として、彼の行動を支持する
人間が少なからずいたのは、彼の心の中の怒りのパワーみたいなものを
感じ取った人がいたからなんじゃないのかな。


同じような事を思ったのは、ちょっと前のTV番組「Smaステーション」を
たまたま観た時だった。
そこには「ヤンキー先生」こと義家弘介が、ラジオ番組でいじめられてい
る女の子の相談に親身になって相談に乗っているシーンが流れていて。

印象的だったのは、そのシーンを見ていた麻木久仁子が、
「今までいじめ自殺事件での先生たちの記者会見に違和感を感じていた
理由がわかった。彼らには、自分の生徒を死なせてしまったという悲し
みや、怒りや、悔しさが伝わってこないで、ただ単に世間に対して謝っ
ているからなんだと。もしも本当に自分の大事な生徒が死んだのなら、
もっと悔しがってもおかしくないのに」
と言っていたこと。

もちろん、一概に記者会見の先生たちの態度をみて、彼らが内心で
怒ってないとか、悔しくないとか、決めつけることはできないと思う。

でも逆に言えば、いじめられている女の子の相談に乗っている時の
ヤンキー先生には、確かに理不尽さに対する怒りがあったと思うし、
そういう魂の熱さみたいなものが、いじめられている生徒に限らず、
今の生徒たちにとっては、必要なものなのではないか。

それは、わかりやすい熱血教師を演じなさい、という意味ではなく。
自分の根本にそういう怒りを持っているかどうかっていうのを、私たち
は結構敏感に感じ取っている気がするんだよね。

思えば、小泉純一郎と安倍首相の、一番の違いってもしかするとそう
いう自分の心の中にある怒りの表現の仕方なのかもしれない。

小泉純一郎が「郵政民営化」と言ったとき、そこには「既成の自民党(経世
会)的なものをぶち壊す」という強い感情があり、そこに国民が反応して
高い支持率を維持していたのかもしれない。

それに対して、安倍総理の場合、彼のメッセージがいまいち伝わり
にくいのは、彼の行動が心の中の強い感情から起こっている感じが
しないからかもしれない。
もっとも、彼の強い感情が北朝鮮に先制攻撃とか、日本の軍事化、
戦前化だったら個人的には困るわけだが(そんなに単純なものではない
とは思うが)。

でね、そういう風に、仮に怒りという強い感情を心の中に持っていた
として、それをどのように表現するか、っていうのが重要だと思うんだ
よね。

極端な例で言えば、この年末年始に渋谷区で起こった二つの殺人事件の
容疑者たちも、一時のカッとなった怒りの感情をそのまま相手にぶつけ
てしまったのが問題なわけで。

特に浪人生の彼の場合には、その悔しい気持ちをバネにすることが
できたなら、もしかしたら受験にだって成功したかもしれないと
思うのだ。

つまり、自分の心の中にどれだけ怒りというパワーの火をためておける
か、そしてそれを一時のキレた感情で爆発させるのではなくて、そこか
ら錬金術のように白魔術的なものに変換することができたなら、それは
クリエイティブなもののモチベーションに変えることができるんじゃ
ないのかな。

そういうものが、おそらくは茂木健一郎の精力的な活動の源泉になって
いるんだろうなあ、と「BRUTUS」を読みながら思ったのである。


私のことを振り返ると、でも確かに最近って「自分の中の怒りの感情」
って、ちょっと冷えていたかもしれない、と思うのである。
それは、もちろん誰か身近な人に対して怒っているとか、キレるとか
そういう意味ではなくてね。

で、多分、そういう怒りや強いモチベーションの感情がない時の私って
周囲から見ると無害な「単なるいい人」になっていると思うんだよね。

だから今年は、もう少し、自分の中に潜んでいる「怒り」の感情に目を
向けて、その強い気持ちの火を絶やさないように注意してみようと
思うのだ。
多分そういう気持ちが「負けず嫌い」という気持ちになるんだと思うの
だが。
それについてはまた近いうちにでも。
| われ思う | 23:04 | comments(8) | trackbacks(0) |
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| - | 23:04 | - | - |
こんばんは。

怒りの感情とは、とても難しいです。
私の場合、
相手に勝ちたいというパワーゲームになって
しまいがちだからです。

怒りの先にある建設的な想いに感情が昇華されていれば、
冷静さを取り戻せるのでしょうか。

しかし、生物の本能として自分の身を守るために
怒りはもっと純粋な花火のような湧き上がる感情で
いいのだとも思います。

うーん。
とりあえず上司にかみつかれた時が一番難しいし、悔しいです(笑)
感情の爆発の激しいその人を見ていると、
伝えたいことがあるのもわかるし、
それが正しいことであるというのもわかるのに、
爆発されるだけでもう聞く耳を持てなくなる自分に気づき、
お互い損だなあと思います。

信念や熱い思いがあるからこそ怒りもわくのでしょう。
やっつけたい誘惑になんとか勝ちながら
冷静に怒りの理由を語れるようになるには
まだまだだなと感じています。

必要な感情ですが、
扱いにくい感情でもありますね。
| あべ | 2007/01/23 11:47 PM |

>あべさん
コメントありがとうございます。
うん。おっしゃっている事、よくわかります。
どんなに正しいことを言われても、そこに相手の感情の
爆発があると、冷静ではいられませんよね。

これは今思いついたことなんですけど、多分怒りの感情の
表現方法って、一つに限る事はないって事なのかもしれま
せんね。
時にはキレることもあるし、爆発することもあるのが自然
だし。
その一方で、もしも自分の中の怒りの感情を違うものに
少しでも昇華できると、そこでまた自分の表現力みたいな
ものも変わるんじゃないかって気がします。
私も修行中みたいなものなんだと思いますが。


| harry | 2007/01/24 1:01 AM |

茂木さんとこからのリンクで来ました。
この文章に同感してます。

私は怒りが自分に向かってしまって苦しくなることがあります。
世間や周囲の人への怒り、それをぽんと外に出せずうまく処理できない自分への怒り。
(会社のトイレにこもりしゃがみこんでしまうほど!笑)
モードをチェンジできた時は、うそみたいに、笑い、ユーモア、暖かい気分になれます。
切り替え方の練習中です。自分の中の問題なのですけどね・・。
今は、無邪気にあくびをする同僚のをみて和んだので切り替えできました。
怒れる人は、周囲より高い次元にいるのではと思います。
上手に「間抜け」になる練習中です。
同じような angry men の思想を共有する友人がいるとほっとしますね。
| muro_ | 2007/01/24 2:17 PM |

>muro_さん
コメントありがとうございます。
すみません、逆説的に聞こえるかもしれませんが、
muro_さんの書き込みを読んで、怒れることってすごい事
なんじゃないかな、と思いました。

だって、自分に対してにせよ、相手に対してにしろ、
その関係を何とかしたいと思うから、時にはじれったく
なったり、怒りの感情って出てくるのかもしれませんね。
どうでもいい、と思ってたらそんな気持ちも出てこないん
でしょうし。

問題は、muro_さんも書いている通りにそのコントロールの
難しい感情をどう扱うか、なのかもしれません。
その切り替えは、簡単ではないからこそ、気軽に頑張って
というのは気が引けますが、私も何とか頑張ってみたいと
思います。

脈絡はありませんが、このコメントを書きながら
Dreams Come Trueの「何度でも」という曲を思い出し
ました。
| harry | 2007/01/25 12:01 AM |

こんばんは。
たびたび、お邪魔します。

怒るという感情について思いついたことがあり
また訪ねました。

人が何かに脅かされた時に起こす反応のひとつが、
怒りなのではないでしょうか。

何も怖くない人は、怒りという感情には無縁?
そんな人、いないとはおもうのですが。
ふと、そう思いました。


コメントに対するコメント、ありがとうございました。
私は、怒りを爆発させたりきれたりせず、
表現する方法をとれる人間になれたらいいなと思います。
怒りは人を遠ざける。
しかし、そうしたいのではない。
じゃあ、何をしたかったの?
どうしたいの?
伝えたいものがあったのではないの?
耳を傾けてもらいたい想いがあるのではないの?
では、きちんと聞いてもらうためにはどうしたらいい?
…ということを考えて一瞬間を置くことが、
とりあえずの策かなと思っています。
ケンカが悪いと言いたいわけじゃないのですが。

| あべ | 2007/01/26 11:56 PM |

今、ふともう一つ思いつきました。

国家や体制、制度に対して疑問や違和感を感じ、
怒りをもち声高に改革を叫び行動していく活動家たちがいます。
私の周りにも、大いなるものに対して怒りをもち、
怒りが仕事の意欲の原点だと言う友人がいます。
おくれた施策に対する怒りなのですが。
人が人としてあるために。

怒る対象によっても、
適切な在り方が様々かもしれないのだなと思います。


大いなるものには大きく怒ってちょうどいい。
爆発したりきれたりするくらいがちょうどいいのかも。
そうしないと動かないし伝わりきらないから。
そうしても伝わらないくらいかもだし。

また、タイミングもきっとあるのだろうとも思いました。

自分の今抱いている怒りは、正当な大きさのものか?
考えています。
| あべ | 2007/01/27 12:06 AM |

>あべさん
コメントありがとうございます。
怒り(やその他の感情)をどう表現するか、という事について
は、山田ズーニーさんの本がオススメです。
このブログでも何度か取り上げているので、よかったら
検索してみてください。

もう一つ、あべさんのコメントを読んで、感情の表現と表出
という話を思い出しました。
これは元々は宮台真司がずいぶん前にどこかで書いていた話らしいのですが、感情をただ爆発させるのは、表出。
表出の場合、相手に自分の思いが伝わったかどうかよりは、
本人がスッキリするかどうかが問題になる。
それに対して表現は、相手に伝わったかどうかが問題になる。
その表出が表現に変わるには、相手にその言葉を届かせる
ために磨く必要がある。

もっとも、表出より表現の方が優れているという訳ではなく
伝えたい気持ちのない表現というのも世の中には沢山ある。
逆にいえば、優れた表現の核心には、何かしらその人が
伝えたい「根本思想」のようなものがあるんじゃないかと
思います(この辺はズーニーさんゆずりですが)

どんな表現の仕方がいい、なんて正解はないんだと思います。
人それぞれ、コアにする感情があって、それぞれの表現方法
がある。それが個性なのかもしれません。
そこからもう一つ思いついたのですが、それはエントリーで
書いてみます。
| harry | 2007/01/28 1:09 AM |

おはようございます。
ここ数年怒りという感情に近しく生活しているので、
いろいろと考える話題でした。
ありがとうございました。
山田ズーニー、宮台シンジさんも見てみます。

引き続き楽しみにしています。
| あべ | 2007/01/28 8:18 AM |










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